サマーマジック
17:20
「あの……貴方は、2組のエミリオ?」
「え?あぁ、君はフランシスコか。もしかして……」
「そうそう、イサベル待ち」
「やっぱりかぁ。俺も、エレーヌ待ちだよ。5時15分って言われたから10分前に来てたんだけど」
「僕もだよ。イサベルを待たせたくないから、僕なんか一時間前に来てたのに……」
「…………ならちょっと遅れられたくらいじゃ待ち時間に大差ないね……(汗)」
一方。
「ねぇ、やばいやばい!もう時間過ぎてるよぉー」
「30分に着くって、今エミリオにメールを送りましたわ。エミリオ、フランシスコと一緒に居るみたいですわ」
「えっまじ!?ウケる!!」
カラオケボックスの角の部屋、なにやら不審な二人組。
「ほら、イサベル。私と同じようにやってみてください。こうやってすればいいんです」
「こう、じゃわかんないわよぉー」
「では、私が先にやりますので、あとでイサベルのもやってあげますわ」
「ありがとう!じゃぁその間髪やってるね」
本来、ここは歌を歌うべき場所である。正当な使われ方をしていないその部屋の前に、カラオケ店の従業員がわざとらしく行ったり来たりし、不安そうな瞳をちらちらと覗かせていた。
今日は花火大会。都内でも比較的規模の大きな花火大会である。花火といえば、浴衣。マンネリ化したカップルでも、恋人ならではのこの行事に、いつもと違う彼女の姿に、うきうきしてしまうような夏の風物詩イベントである。
エレーヌが浴衣の着付けができるということで、二人でそれぞれの彼氏との待ち合わせの前に落ち合って着替えて行くことにしたのだが、着付けというものは思ったよりも時間のかかるものだった。着替えなんて15分くらいで終わるだろうと浅はかな考えを抱き、花火の場所取りをしたいということで当初の待ち合わせ時刻よりも大幅に早めた待ち合わせ時刻を設定した挙句、女二人は待ち合わせ時刻を過ぎてもまだ帯も締め終わっていない。
「あら?どうやるんだったかしら?あらら?なんだか変だわ」
エレーヌの腰には出来損ないのリボンのような形をしたものが妙な角度でくっついていた。
「エレーヌ、なんかそれ汚い!待って、ほら、この本見てよ」
「でも私が教わったやり方はその本に書いてないのよ。こうかしら?うーん……」
17:30
「ねぇ、遅れるって」
「俺も今メール来た。今度は45分に着くってね。何も同時にメール送らなくたって……」
「絶対イサベルがエレーヌちゃん煩わせてんだな。イサベルはマイペースだから」
「いやいや、マイペース具合ならエレーヌも負けてないって!あの子かーなりフワフワしてるからね。遅刻なんてしょっちゅう!」
「本当に?意外かも。でもイサベルなんかさ、フワフワって言うよりかなり強引なマイペースだから、きっと今日もつれまわされるなぁ。あいつ、きっと花火最後まで見たいって言うよ。最後まで見たら帰りが混むから嫌だってのに」
「あーそれわかる。女の子ってそういうとこあるよな。でもエレーヌはその辺男らしいかも……さくっと帰りそう」
「いいじゃないか」
「いや〜それはそれでこっちとしては微妙な心境だよ。えっいいの?みたいな」
「できたわ、イサベル!結び方がわかりましたわ、ほら、こっち持って」
何とかこじんまりとしたリボンが出来上がったらしいエレーヌが、イサベルの帯を手に取った。テーブルの上には大量のヘアピンとゴールドのヘアクリップ、ピンクの花飾りがばらばらと散らばっていた。イサベルの頭は15分前と変わっていなかった。
「ここ持てばいいの?ってか髪難しいよ〜。鏡持って来ればよかった!」
イサベルはしかめっ面をして帯の端を持った。鏡を見ないで髪型をセットするのは至難の業である。まして花火大会、浴衣。髪型もこだわりたいところだ。そもそもカラオケ店の個室にご丁寧に鏡がついているところなんてそうそうないのだから、用意してくるべきだったのだ。私たちってつくづく計画性がないよねー、などと言い合う二人だったが、特に自分たちのその性質を疎んでいるわけではなさそうだった。むしろ諸所の失敗を計画性のなさに帰することで、ある意味その性質に責任転嫁しているような口ぶりだ。
「はい、帯はできましたわ。あとは髪型ですわね」
「私とりあえずサイドにまとめるだけにしよっかな。だって気付いてた?もうそろそろ45分らしいよ」
メールチェックのために携帯を開いたイサベルが言った。
待ち合わせは本来17時15分。それを遅らせて17時30分。更に遅らせて、17時45分。
まだカラオケ店から一歩も動いていないところを見ると、明らかに45分にも間に合わない。
「そうみたいですわね。でも今更また15分遅れたところで対して変わりはないかも……」
「だーよねー♪ってうちら最悪!」
「我ながらちょっと庇いようがないですわね。では私もクリップで留めるだけにしますわ。あとで駅のトイレに寄って直しましょう」
「そうね、鏡ないときついもの」
そういって女二人組は外に出た。
先ほど私服で入ってきたはずの女の子たちが、帰りには艶やかな浴衣姿になっているものだから店員は戸惑っているようだった。だが、室料も払ってもらっているし、部屋を更衣室代わりにしてはいけないと禁則に書かれているわけでもないので、文句も言えないらしい。
会計を済ませ、人でごった返す外につながる自動ドアに足を向ける。急ぎ足なためか、カランカランと草履の音が響く。ドアを出る直前に、ふと横を見れば浴衣姿の自分たちの姿が見えた。
「あ、鏡!ねぇ、やっぱりここちょっと変じゃない?髪が一束でてる」
サイドに纏め上げた黒髪をいじりながらイサベルが言った。
「それくらい大丈夫ですわ。でも私も折角の花飾りを前から見えない位置につけてしまったみたい」
「直してあげる。この辺でいい?」
「ありがとう、イサベル。でも、やっぱりもっと髪型もこだわりたかったですわね」
「ねー。アップにしたかったんだけどな。次リベンジしよーよ」
「そうですわね。ところで、私たち急いでいるんじゃなかったかしら」
17:45
「エレーヌからメール来た。6時になるって」
「ここまでくると笑うしかないね……」
「まぁ、エレーヌは結構30分遅れとか普通だけど……」
「いや、ここはビシッといってやろう。イサベルはいつも僕のペースを乱して、一度ちゃんといわなきゃと思ってたんだ」
「そうなの?(汗)」
駅に向かう道の途中、女の人が早足でイサベルの元に歩み寄った。彼女の手には帯の一端。
「きゃー!帯取れちゃった!」
「あら。緩かったのかしら。どうしましょう。とりあえず、お手洗いに行って直しましょう」
駅は広い。一番近い改札を通り抜け、そこにあったロッカーに荷物をしまい、トイレを探しに向かった。
浴衣を着ていると必然的に歩く速度が遅くなる。さすがに時間を気にし始めた彼女たちは小走りだったが、それでも普段歩くときのスピードと同じくらいだった。
「イサベル、ほら、端っこ持ってください。床についちゃいます」
「わっホント!危なーい。ねぇ、やっぱり髪くずれてる」
トイレは浴衣を着た女の子たちでいっぱいだった。なんとか鏡の前を陣取ったイサベルたちは、再び髪型について気になるようだった。
ピンで留めたはずの髪の束が、熱に溶けてしまったかのようにだらりと垂れ下がってしまっている。エレーヌにきつく帯を結んでもらいながら、イサベルは空いている手で髪を押さえた。
「はい、これで大丈夫だと思いますわ。イサベル、ピンを持ってる?貸してくれないかしら?私もちょっと直したいですわ」
「いーよーん。勝手に取っちゃって。あーあ、うまくできないなぁ。私めっちゃパーマだから、ちゃんとあげないと下のほうにボリュームでちゃって見栄え悪くなるのよね」
「でも私は直毛なので逆に動きが出なくてやりずらいですわ。後ろ向いて、留めてあげますわ」
「ごめんねぇ。エレーヌのもやってあげる」
「ありがとう。あら、そういえばこんなにゆっくりしてていいのかしら」
18:00
「ごめんねぇ、フランシスコ。なんかね、思ったより時間かかちゃってねぇ……」
「エミリオ、待たせてしまってごめんなさい。浴衣を着るのにこんなに時間がかかるなんて思わなかったものだから。許してくれる?」
頭に可憐な花をつけ、夏の風情振りまく涼しげな浴衣の彼女たちを前にして、男たちは何もいえない。
結局、甘えた声色のイサベルの頭を撫でてやっているフランシスコを見て、エミリオも満更でもなさそうにため息をつくのだった。